OSAKA. 04.2019
昭和42年~54年に造成された大阪府豊能町にある住宅地での計画である。この東ときわ台では、約40年前から暮す住人が多いため、高齢化が進んでいる。
ただし、ベットタウンとして、緑豊かな住環境であることから、根強い人気があり、ここ最近では建て替えを含めた新陳代謝が活発になりつつあり、小規模な店舗付き住宅も増えている。敷地は南北に道路があり、北側には豊かな山林が望める為、一般的な住宅地でありながらも豊かな環境を享受出来る敷地である。
計画にあたり、住宅地から山林に抜ける心地よい風を取り込み、豊かな山林の風景を住まいはもちろん住宅地に還元出来るよう南北に抜けのある空間を計画した。
この抜けのある空間に、紐付く2つのボリュームを設け、少し囲まれたような空間で住宅地から山林へと抜ける川縁のような関係性を作り出した。その上に、浮いたような大屋根で大らかに包み込み、住宅地から山林へと風、光、人が誘われる住まいとした。
道路側に設けた大きな建具は、自然(山林)と人口(住宅地)を繋ぐ堰として機能する。開け放つことで、住宅地から水が流れ込んでくるように、建物内部に様々な環境が入り込み、近隣との積極的なコミュニケーションの場となる。
子供が中、外関係なく走り回り、大きなテラスではプールで遊んだり、バーベキューを楽しんだり出来る。またママ友や近隣住民とのコミュニケーションの場となり、ギャラリーやカフェなどの店舗としても使える空間にもなる。逆に大きな建具を閉めると、人が集い寛ぐリビングとなり、24時間多用な形で利用できる住まいとなる。
2つのボリューム内部は、落ち着く籠ったスペースとなるよう天井高さを抑え、山林や土間空間への抜けを作り出し、落ち着いたスペースから活発な空間が望める住空間として計画した。この多様な空間を包み込む約9mスパンの大屋根を東端5本+西端5本の合計10本のみの柱で支える木構造とし、空間の自由度を担保した。棟中央はホームコネクターを用い木の剛接合とし、柱に金物と合板を用いて水平力も負担する木軸ラーメンのように組み合わた。
また2つのボリュームを3本のH鋼で繋げることでスラストを負担しタイバーなどを使わない架構を作り出した。この架構や建築の成り立ちを子どもや家族、訪れる人々に住まいの記憶として目に見える形として2Fの構造体はすべてアラワシとし印字も残している。
今後、住宅の新陳代謝がより活発になる可能性を秘めたこの土地でも、人々のライフスタイルが変化してきている。仕事をして帰宅し、家族との憩いの拠点となる住まいだけでは人々の営みを支えることが出来なくなってきているのではないだろうか。住空間を作るだけで無く、24時間さまざまな表情を見せる人の営みに寄り添い、多彩なシーンに対応出来る建築が必要とされている。この計画が、多様な余白を様々な形で活用できる住まいの必要性を示す建築になることを願っている。